MEi子の日記

日々の思うこと、好きなこと、つらつらと。

亡くなった母のこと

みなさま、コンニチハー((((o´ω`o)ノ

ご無沙汰してます。MEi子です!

 

今日はちょっぴり、しんみりした内容になるかもしれません😓

 

自分の気持ちの整理という意味も含め。今年亡くなった母のことについて書こうと思います。

 

 

 

遡ること、9年前。

2009年の秋。

私が今の仕事に転職して、半年経ったくらいでした。

 

母は、前々から「ん?」って感じで自覚症状もあり、腹痛を訴えつつも、どこの診療所へ行っても「胃腸炎」と診断され処方された薬も効かず、触ると痛い箇所があるのに「お腹の筋肉ですね」と言われたり。

 

さすがにもうこれはおかしい!と言うくらい痛かったのか、医師に「とにかくエコー撮ってください!」と伝えたところ、なんと【盲腸】と診断されました。(数日前は「お腹の筋肉です」と言ってたのに…(>_<;))

 

 

その内科は小さい診療所でしたので、すぐに紹介状を書いてもらい、隣町の総合病院へ。

 

そこで主治医になってくださった女医さんのおかげで、後に母は「ステージ4の胆嚢癌」を見つけて貰えたのです。

 

その日はレントゲン撮って、再度エコーを撮ったりして即入院でした。

 

そこで女医さんに言われたのは「胆嚢(たんのう)炎」でした。

 

胆嚢とは…

消化に必要になるまで胆汁を蓄積するセイヨウナシ形の器官。(Wikipediaより引用)

 

手術の日、そして癌が発覚!

母本人は、その当時は「どうりで痛かった訳だ」とか、比較的呑気な患者さんでした。

 

とにかく女医さんからは、炎症がひどいというか、よくここまで放っておきましたね的な事を言われてた気がします。

 

たしか、10日後くらいにはすぐ手術だった気がします。そんなに難しくはない手術とのことでした。(たしか…)

私は、なんとなく嫌な予感がありました。

 

そして手術後。衝撃の事実。

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胆嚢の炎症がある部分はしっかり取れた。しかし、その悪い部分を調べてみたら「ステージ4まで進行していた胆嚢癌」だったということが判明。

 

今までなんとか我慢できてたのは、丁度胆嚢の近くの臓器がいい感じに支えてくれていたからなのだそう。本当にラッキー。

 

そしてこれから、その癌は母の身体をどんどん浸食していくことになります。

 

肝臓に転移、胃に転移、その度母は手術をしました。

 

亡くなるまでもう10回以上はしてたはず。

 

その途中で胆汁が逆流し、肺を刺激してしまうことで咳が止まらなくなる日がほとんどになりました。

 

上手く体外へと出すために、背中から管をいれて、胆汁を溜めるための容器を常にぶら下げて置かなくてはならなくなりました。

 

その容器は小さいポシェットみたいな感じだったので、詰まりがなければ比較的快適に過ごせました。

 

 

退院、再入院。

肺への転移をギリギリ阻止する事ができ、退院し、最初の術後から5年経過し、転移は認められなくなりました。2013年後半から2014年は家で普通に生活出来ていました。(3日に1回は高熱や、夜中に咳き込むなどはありました。)

 

普段の暮らしの中に母が戻ってきてくれたことにホッとしたものの、肺へと逆流する胆汁が母を苦しめます。2015年の1月に、母はまた入院する事になりました。

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それから、ほとんど病院お盆やお正月に2泊3日くらい仮退院みたいな感じで家に帰って来てくれるものの、最終日はげっそりしてしまったり、体力の衰えが一目でわかるようになりました。

 

去年の私の誕生日の頃に仮退院した日は、物凄い咳き込みにも関わらず「MEi子の誕生日も近いし、やっと帰ってこれたから、これから中華のバイキング行きましょ」と言ってくれましたが、今思えばもしかしたら母は来年、この子の誕生日を一緒に迎えられないかもしれないと悟ったのかどうかは分かりませんが、当時の私は、心の中で「何バカいってんの?」と思ってました。

 

「またお母さんが元気になったら家族みんなで行こうよ!」とその時は明るく応えて、安静にしてもらったけれども、母の立場からしたら、きっと「気遣ってくれて優しいな」「娘がいてくれてよかった」くらいは思ってそうですが、「アレもこれもしてあげたいのに、私は何にもできない」「こんなんじゃ情けない」という気持ちはもっといっぱい持ってたんじゃないかなと思います。

 

 

それから数ヶ月

母はそのあと昨年のお盆に帰ってくるはずが、ちょっと調子が悪かったこともあり、様子を見て秋ごろに仮退院のつもりでした。

 

10月にお見舞いに行った際、会話がちぐはぐになった時がありました。

 

ある日、私が家で洗って乾かした洗濯物を持ってきたのですが、母はそれを見るなり200円をおもむろに渡して「これで足りる?(病院のコインランドリー使ってくれ)」みたいなことを言い出したり(>_<;)

 

トイレで意識が一瞬なくなってしまったり。

焦点が合ってない、なんかアブナイ感じにみえたり。こんな日が二日ぐらいあったのですが、数日後「お母さん、なんか変だったよあの日」というと、私がお見舞いに来た事さえ覚えてないらしく「なんか、数日記憶がなくって…なんか変だったみたいだよね私」と、言ってました。

 

なんか、認知症のばあちゃんを見てるような感じで怖かったのです。

 

そして、母はまたこんな感じになり、会話もままならなくなりました。

亡くなる数日前のことでした。

 

 

ついに、余命宣告。

秋から不調で、途中、近い親戚の病死もあり、「死」に向き合う事が多かった年末。

 

たしか5年前は年末、大晦日にのっぺ作ったっけ?

 

年越しそばも一緒に食べたよね?

 

あれ?

 

もっと昔は、おばあちゃん(2015年頃から認知症が進行し、一昨年からショートステイで数泊しており、2017年の秋からはずっと連泊でお世話になってました。)もいて、お父さんとお母さんと妹と私、五人家族で。カニとかオードブル(父が調理師なので)も食べたよね。紅白見て、笑ってた。

 

お正月家族揃っておせち食べるの、普通だったのにな。

 

あれ?いつから「普通」じゃなくなっちゃったのかな??

 

 

 

そして年明け。

 

1月4日。

初売りもなんとか終えて、母のお見舞いに行く。

 

やせ細り、肝臓が不調なのか黄黒い顔をしているが「MEi子、きてくれたのね〜」と、嬉しそう。

 

ちょうどその時に「パーソナルカラーの勉強をしてみようと思うんだ」「いつかカラーリストになれたら素敵だと思わない?」と、やりたいことについて沢山母にアレコレ話を聞いてもらった。

 

母は、今思うと会話のレスポンスが遅めだったものの「MEi子を応援するよ」「やってみたいこと、頑張ってみな」と優しい言葉をかけてくれた。1時間くらいぺちゃくちゃ喋ったかな…

 

家にいる時よりも、もっともっと話を聞いて欲しい!って気持ちになるのがいつも不思議だった。

 

そして

その日の夜、母から最後の電話がかかってきた。

 

実は主治医の先生から「ご家族にお話があります」と言われており、なかなか父と私のスケジュールが合わず、先延ばしになっていたのだが、来週の木曜日にしてほしいという電話だったのだ。

 

母「MEi子のせっかくの休みなのに、ごめんね」と、申し訳なさそうにする母。

 

私「いいんだよ。全然!お母さんは申し訳ないなんて思うこと無いんだよ(^-^)」

 

母「ありがとう😊じゃあ、来週よろしくね」

 

 

亡くなるまでの数日

四人部屋から、母は個室へ移動していた。

 

その日は、たぶん母も同席するはずだったのですが、すでに歩くのも困難な状態になっており、会話をしたいものの、言葉が出てこない様子で、表情は焦りや疲れが隠せない。

 

そして、主治医の先生からは「長く見ても春ごろ」「お誕生日(三月末)までもつかどうか」という余命宣告を受けました。

 

実は、秋に「肝臓の手術をしますか?」と、選択を父と母は迫られたのですが、手術をしない選択をしました。

 

体力がその当時ギリギリだったことと、手術の成功率が低かったこともあるのかもしれませんが、本当のところはわかりません。

 

 

余命宣告をされて、いろんな書類にサインをしたのち、母の容態が急変しました。

 

 

お母さんは目と口がずっと開いたまま、必死に踏ん張っているという様子でした。

 

こうなると、残念ですがもう会話ができません。

 

親戚、母の親友、父、妹、私。

母を取り囲んで「みんながついてるよ」「みんなそばにいるんだよ」と、伝えました。

 

率先してこの言葉を発していたのは父でした。

 

最後の瞬間も、父は母の手をギューって握ってくれてました。

 

 

最後の日を迎えて

母の死は、よく晴れた午前中。

叔母(父の姉)と、私と妹が母のそばにいて、父は談話室で新聞を読んでいたその時、心電図?があのドラマみたいに「ピピーピピーッ」と鳴り響きます。

 

急いで看護師さんを呼ぶと、冷静なトーンで「お父さん呼んできてください」と。

 

すぐに父を呼びよせ、看護師さんから「手をに握ってあげて下さい」と言われ周りを囲んで数分。

 

突然、母は目を(☼ Д ☼)カッ!とさせ、身体を急にフッと起こし、私たちが「え?えええ?何?突然?え?えええ?なになに??」とビックリしていると、これまでなかなか声を発せなかったのに、ハッキリとした音量で「あぁうぁああー))」(ありがとう?のような、ちがうような…)声を出したかと思うと、次の瞬間心拍数が「0」になり、ピーーーーーーと…

 

そのまま目を(☼ Д ☼)カッっとしたまま、母は息を引き取りました。

 

でも数秒後、なぜかまた心拍数が50くらいになったので一同「って、ええええ?!」ってなりました(笑)

 

母がなくなって数十分後、病室いっぱいにいろんなフロアからナースの皆さんがぞろぞろと集まってきました。

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「ニャニョイ(母の仮名)さん、本当に今までありがとうございました」

 

「ニャニョイさん、いつも明るく話してくれてありがとう」

 

「ニャニョイさん、私に色々本を貸してくれて嬉しかった」とか…

 

普通の患者さんなら、苗字にさん付けなのですが、全員「ニャニョイさん」と呼んでくれてました。みんな、母のこと好きだったんだな。良かったね!

 

最後、霊安室?から、葬儀場へ向かう車に乗り込んだ時、たくさんのナースの方と主治医の先生が見送って下さいました。全力で頑張ってケアしてくれて、ありがとうございました。

 

その時、私はしばらく泣いてしまいましたが、母が亡くなったショックよりも「人間って死ぬ時、最後あんな感じなんだ」「見ちゃった、見ちゃった人が死ぬ瞬間」「あーあんななんだ、死ぬ時凄い力が湧くんだ」という衝撃の方が勝ってました。

 

 

★・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

母は、ずっとずっと優しかった。

でも、私のことより、自分のことを大切にしてね。

 

亡くなってからも、ずっとそう思ってます…。

 

 

やっぱりね、会いたいんだよね。

お母さん。

 

 

これからの人生。

お母さんが産んでくれたおかげで、手に入れた人生。

私の人生。

 

ちゃんと、頑張って生きるよ。

 

ありがとう。

 

★・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

めっちゃしんみり(^_^;)‪‪💦‬

 

なんかね、急に書きたくなったんです。

お母さんが心配してる気がして( ̄▽ ̄;)

 

 

まぁ、色々大丈夫じゃないけど、私には父も妹もいてくれるし。ばあちゃんは私を誰だか分からなくなってるけど、生きてます!

 

だから、大丈夫!

 

誰かがダメな時は、周りが支えるから大丈夫!

 

だから、私は大丈夫だよ!

お母さん\( ˆoˆ )/

 

ということで、ここまで読んで下さってありがとうございます😌💕💕

 

 

感謝です!

 

 

ではまたね!

バイバイ(*˙︶˙*)ノ"